とぴ

              
 
 素晴らしい青空と、ぽかぽか陽気の中、平成19年度卒部式が行われました。
 

 「卒部式」は晴ればれしくおめでたいものなのに、「別れ」と言う悲しさがつきまとうので、私には未だに苦手な行事です。大切な式ですから、ちゃんと参加し子供たちを送ってあげなくてはならないのですが、卒部してゆく子供たちの笑顔や真剣な姿をもう見れなくなると思うと、やるせなさの方が勝ってしまい、「できることなら、晴美にずっとおって欲しいなぁ。」と思い、「式にはでたくないなぁ。」などと子供っぽいことを思ったりもします。

 まぁでも、たとえ別れが辛くても人生に「けじめ」は必要ですし、新しい世界へ旅立つためには別れの悲しさは是非もなく乗り越えなくてはならないものです。去年の卒部生が二人、式に顔を出してくれましたが、二人の顔を見ると急にお兄ちゃんになっているものだから、驚かされました。新しい世界を迎えるたびに、人はやはり成長してゆくものだなぁ、とつくづくと感じました。


 それでは式次第に合わせて「平成19年度卒部式」の模様をお伝えします。


 1.卒部生入場


 当日の天気は、これ以上はないという青空の上、普段なら吹く冷たい風もなく、この時期にしては滅多にないぽかぽかと非常に暖かな陽気でした。この日卒部する子供は4人、京本明大君、橋本龍生君、松本唯人君、福田凌也君です。彼らのここ1年間の試合結果を振り返ると、実力は相当にあったもののあまり「運」がよくなかったように思います。抽選では、ほとんど勝ちを拾うことができませんでした。そんな彼らの最後の日である卒部式当日がこの素晴らしい好天です。彼らの前途が洋々と広がることを保証する様な好天に彼らの「運」も好転すること間違いなしです。
 福井母の司会で始まった卒部式、4人の子供たちが蓑尾コーチの先導のもと、照れくさそうに行進して入場してきます。うーん、今まで見た行進の中ではイチバンの行進でしょうか。実のところ、タイガースの子供たちがしゃきっと行進するのを余り見たことがありませんので、まぁこの行進だけはイチバンと言うことにしておきましょう。(この日の朝、春季大会の開会式があり、タイガースの選手全員が行進したのですが、それを見ていたコーチの方々が「へたくそでさっぱりの行進やった。」と言っておられました。伝統か!)彼らの胸には今までに勝ち取ったたくさんのメダルがかかっていました。


 2.宮脇代表と関田監督のごあいさつ


 お二人ともに、この4人の思い出を語られました。お二人とも、ずっと長く子供たちをよく見てこられましたから、思い出話は尽きることがありません。
 お二人の話の内容を要約し、私なりに一言で表すと京本君は「技量抜群」、橋本君は「闘志」
松本君は「強打」、福田君は「強肩」ということになるでしょうか。抜群のフィールディングでゴロをさばき、マウンドに立てば巧みな投球術で打者を翻弄した京本君。体全体から立ち上る気迫の「オーラ」で投手に向かいヒットを放ち、ゴロやライナーに飛びついた橋本君。どこまで飛ばすの?かわからない天性の長打力を持ちチームで唯一柵越えホームランを放った松本君。センターへの飛球を見事にさばいてすばやく送球し、ファーストでアウト、「センターゴロ」をいくつも取った福田君。みんな素晴らしい選手でした。






3.「卒業記念メダル」「皆勤賞・精勤賞メダル」の授与
 

 小川コーチから、「卒業記念メダル」が卒部生に授与されました。橋本君の目はもう涙でいっぱいでした。小さな体が嗚咽で肩をすぼめるたびに、より小さくなりました。
 関田監督から、「皆勤賞」と「精勤賞」のメダルの授与がありました。今年度の皆勤賞には橋本君、蓑尾君、中本君、精勤賞には松本君、山上君、吉川真弘君が選ばれました。山上君は自分がなぜメダルをもらえるかが理解できず、きょとんとしてました。また、皆勤賞に選ばれた中元君、よく頑張ったと思います。お父さんの中元コーチは熱血指導のコーチですが、いかんせん仕事が小売業ですので土日が仕事の日が多い、それにもかかわらず1日も休まずに来ることはたいへんなことです。中元君、今年も頑張って「皆勤賞」の連覇を成し遂げて欲しいものです。
 



4.卒部生から花束、記念品の贈呈

 
 京本君から宮脇代表へ花束、関田監督へ記念品が贈呈されました。引き続き、卒部生全員から、関田監督、小川コーチ、蓑尾コーチへ記念品が贈呈されました。
 このころ、神妙な顔つきで式に参列していた在部生ですが、その中で一人泣いている子がいました。次期チームキャプテンの蓑尾沙亜君がえらい泣いているので、こっそりと蓑尾コーチに教えに行きました。「サイア、えらい泣いてるで!」



5.コーチ代表、父母会代表あいさつ


 普段は「晴美のエビゾー」とも「和尚」とも呼ばれる京本コーチが、神妙な顔つきでスピーチに立ちました。わが子の卒部式に(泣きの入りそうな)父親がスピーチするのは、できれば避けたいところだと思いますが、ここ1年間Aチームのコーチとして頑張った京本コーチから一言いただかなくてはなりません。京本コーチは、普段は単身赴任で滋賀県におられます。土日のたびに帰宅して朝早くからグランドにこられるという大変なご苦労をおかけしていました。本当は鬼より怖いコーチなのですが、グランドではずっと控えめになさっていました。そのうっぷんを晴らすのは自分がマウンドに立って投げる父親チーム「晴美台パパス」との交流戦のときだけです。子供たちの自信をくじくかのように、速い球を投げて子供たちを切りきり舞させていました。特に息子には親の威信にかけて「絶対打たせん」という気迫で投げていましたので、京本君はいつも最悪でした。それでも、わが子をはじめ子供たちに素晴らしい投球フォームや打撃フォームを見せる事ができるのですから、私にしてみればとてもとてもうらやましいことです。
 

 続いて父母会を代表して福田父よりスピーチがありました。福田父は息子よりも野球の練習に熱心な父であり、自分のグラブさばきが上達し、ノックで上手に打てるようになることに喜びを見出すという父であり、子供にとってはええ迷惑な父であります。毎週欠かさずグラブを持ってグランドに立ち、子供たちの後ろを守っているわけでありますが、すきあらばボールを捕ることに命をかけているため、ひそかに子供たちがボールをそらすことを願っているような父です。去年1年間はAチームの試合のほとんどにスコアラーとしてベンチに入り、こまめにそして誠実にスコアーを書いてくれました。
 (お二人のスピーチについては、ほとんど覚えておりません。この場を借りて深くお詫びするとともに、京本さんには、まだまだ足しげくグランドにきてもらってコーチをやってもらわなければなりませんし、福田さんにもまだまだ頑張ってもらわなければなりません。まぁ、仲の良い友人と言うことで、この場の無礼をお許しくださいませ。)


6.卒部生から感謝のことば


 卒部生が、晴美台タイガースでの思い出と、後輩への言葉、指導者や父兄への感謝の言葉を作文にして読み上げました。卒部式のクライマックスとも言うべきところなので、子供たちの顔は涙でぐしゃぐしゃです。たかが作文、それは言葉の羅列にしかすぎないのですが、子供たちと彼らを見守ってきた指導者、父兄の心の中には、言葉の一つ一つに蘇る思い出、シーンがあります。
 切り込み隊長として先頭打席に立ち、センター前やレフト前にみごとなクリーンヒットを放った福田君、二遊間に抜けた球をみごとなセンターゴロアウトにしとめた福田君、いいところで打てなくて、肩をどっぷりと落としてベンチに帰ってきた福田君、走塁がうまくていつもいつも盗塁を決めていた福田君。


 小さな体で「ガッツ」あふれるプレーを続けた橋本君、5年生のときにはエラーをしてベンチに下げられ泣きじゃくっていた橋本君、堺浜球場で気迫のオーラを身にまとって打席に立ち決勝打を放ってチームを優勝に導いた橋本君、6年になると急に華麗なグラブさばきで内野をこなし、ショートライナーを取り、セカンドに上がったポテンヒットをファインプレーでしのいでくれた橋本君。


 ライト側にあった階段に直撃するホームランを打った松本君、大人顔負けの鋭い球足でヒットを打った松本君、4番の重責に耐えかねて悔し涙をこらえて打席に立った松本君、堺でイチバン上手い1塁手だった松本君、長い足を大きく開いてむつかしいバウンドをいつもうまくさばいた松本君。


 素晴らしいフォームでゴロをさばいていた京本君、ストライクが入らなくてマウンドで腕をブンブン回していた京本君、キャプテンとして後輩の面倒をよく見ていた京本君、おすしが苦手で「回転すし屋連れて行ったる」って言ったのに「マックがええ」と言い張った京本君、制球術を身につけコントロールで打者を翻弄した京本君、自分でゲームを作ることができる投手に成長した京本君。


 4人とも、作文の最後を親への感謝の言葉でつづっていました。京本君が「家では照れくさいくて言えないからここで言います。」とお父さんへの感謝の言葉を放つと、横にいてビデオをまわしていた京本コーチが本格的に「泣き」に入ってしまいました。子供が野球を続けてゆくためには、少なからず家族の協力が必要になりますが、それは子供たちのためなのでしょうか。私にとってはこんなにいい思い出や感動を子供たちからいただくのだから、それは自分のためのような気がします。
 卒部する子供たちの思いでは尽きることなく、とめどなく溢れてきます。できることならば、最後の一年もっともっと勝たせてあげたかった。実力は十分にあったのだから、「運」を呼び込んであげたかったなぁ。


7.次期キャプテンの送辞と団旗の引継ぎ


 卒部式の開始早々から泣いていた蓑尾君でしたが、涙も止まって堂々と送辞を読み上げた後、晴美台タイガースの栄光の団旗が京本キャプテンから蓑尾キャプテンに引き継がれました。これをもってチーム全体を引っ張る「チームキャプテン」が蓑尾君に変わりました。キャプテンの責任は重く、一年を通して誰よりも全力で野球に打ち込まねばならないし、やり残したことがあると、誰よりも悔しい思いをしなくてはなりません。京本君の言葉の中でも、後輩たちに残した言葉がたくさんありましたが、ほんとうなら、自分が後輩たちとともにやりとげなければならなかったことだと思います。とにかく、新年度のタイガースの活躍を担うのがキャプテンですから、蓑尾君のこの1年のガンバリを大いに期待するところです。


8.卒部生へ記念品の贈呈

 
 卒部生へ父母が用意した記念品(写真パネルとアルバム)が贈呈されました。アルバムにはタイガースで野球に打ち込む自分たちの写真が数々貼られていることと思いますが、一つのことに打ち込んだ自分のことはいつまでたっても思い出したくなると思います。これからも、ずっと野球を続けてくれることを望んでやみません。





9.宮村のおばあちゃんから卒部生へプレゼント


 毛糸の帽子にマスク姿、いつものあのいでたちで卒部式に来てくださった宮村のおばあちゃん。昨年卒部した宮村政明君のおばあちゃんです。宮村のおばあちゃんもお亡くなりになられたおじいちゃんも、ほんとうに野球が好きで、いつも子供たちを熱心に見守ってくださいました。おばあちゃん、子供たちへの思いがけないプレゼントありがとうございました。まだまだ寒い日が続きますので、どうぞ、お風邪などひかれませんようにご自愛してくださいね。(おじいちゃんもきっとどこかで、タバコふかして見てはったんやろな。)


10.卒部生から花束贈呈

 
 朝早くから起きて、おにぎりを作り、お茶を沸かして水筒に入れ、野球道具をチェックし、どろんこのユニフォームを洗い、ほつれたワッペンを繕い、「お当番」の日には熱射や寒風に耐えてグランドにいて、試合の時には黄色い声で応援してきた母たち、そんな日ごろの感謝を込めて卒部生から母(??)に花束が贈られ、どういうわけか、「せーの」の合図で母たちが子供たちを抱きしめました。写真は一部欠けておりますが、都合により母の代理で父が子供を抱きしめるシーンだけを割愛させていただきました。本人もこのシーンだけは余りに照れて、掲載して欲しくないだろうと、勝手な配慮をしたためですが、たとえ「出してもいいよ。」と言われても、残念なことに写真に写っておりません。なぜか、私はとっさに、そこだけを除いてシャッターを切ってしまいました。あしからず、ご容赦を。

 子供を抱きしめる母たちの胸には、どんな思いがあるのでしょうか。男親は少なからず野球そのものに関心があり、中には私みたいに少年野球にどっぷりとつかり、自分の子であろうが他人の子であろうが野球少年を見つけただけで、わくわくしてしまうような、「少年野球バカ」もいるはずです。しかしながら母親というものは、子供に勉強もさせないといかんし、野球ばかりやってもらっては困るし、自分としてはそんなに深く少年野球に関心があるわけでは無いし、そのくせやはり息子には頑張ってもらって、試合に出て活躍してもらわんと困るなどとも思っているはずです。私の息子などは毎週末に「勉強しいや、宿題したんか。宿題せえへんねやったら野球行かせへんで。」とも「なんで今日打たへんのや。三振なんか見たくもないわ。もっと練習しいや。」とも言われているわけです。そんな複雑な胸のうちをかかえながら、卒部式を迎えた子供を抱きしめる母たちの喜びとはいかなるものでしょうか。とにもかくにも、ユニフォームを着てグランドに通い続けてくれて、わが子が一つのことを最後まで立派にやりとげてくれた喜びでしょうか。とりあえず野球を通して子供たちが一まわりも二まわりもりも大きく成長してくれることだけは事実ですので、親としてはそれだけは絶対にうれしいことなのですが。うーん、今度じっくりと聞いてみたいと思います。


11.卒部生退場


 好天にめぐまれた卒部式も全ての式次第が終了し、卒部生が退場します。みんな少しほっとしたようで、笑顔を見せてグランドを一周し、後輩たちとハイタッチをしました。彼らが「後は任せたぞ!」と言ったかどうかはわかりませんが、大丈夫!君たち卒部生の後姿をずっと見てきた後輩たちですから、きっと今年も来年もずっとずっとタイガースの栄光を守り続けてくれますよ。


 式典も全てがとどこおりなく(途中でマイクの調子が悪くなることがあったのですが)終了し、卒部生は父たちによる胴上げの祝福を受けました。小柄な橋本君は天高く舞い上げられて、少しびびっていました。そのあと、母たちの豚汁が全員にふるまわれて、みんなで歓談に花が咲く楽しい昼食を取りました。昼食後、「晴美台パパス」あらため「晴美台飲ンベーズ」と子供たちチームの試合が行われましたが、京本コーチがまたまた日ごろの鬱憤を晴らすべく子供たちの自信をそぐような好投を見せて、子供チームを1点に押さえ、かたや京本君が晴美小学校最後のマウンドに立っているにもかかわらず、大人たちは誰も遠慮することなく遠くへボールを飛ばすことだけを考えて打席に立ったため、京本君をこてんぱんに打ち込み、現役なのにお父さんチームで参加した山上晃平君、都倉秀城君、中村優志君の3人も大活躍して、結局「晴美台飲ンベーズ」がコールド勝ちしました。「みんなほんまに大人気ないなぁ、監督として恥ずかしいわ!」
 

 最後に卒部式にご参加いただいたご父兄のみなさま、OBのみなさま、そしてチーム役員、野球指導者、関係者のみなさま、ほんとうにありがとうございました。心より感謝申し上げます。また卒部式を中心となって取り仕切ってくださった5年生の父兄のみなさま、ご苦労様でした。
 みなみなさまのおかげをもちまして、「平成19年度卒部式」も滞りなく行うことが出来ました。みなみなさま方には、心より御礼申し上げます。